1962年9月20日午後1時20分頃、東京都北区の庵島弘敏さん(当時32歳)は、妻の容子さんが粉ミルクと間違えて調合してしまった「ライポンF」の溶液を、赤ちゃんが飲もうとしないので、ためしに一口飲んでみただけで、約二時間後に苦しみながら死んでしまいました。
現在、台所用の合成洗剤の容器には(非常に不都合なことですがせっけんの容器にも)「万一飲みこんだ場合は、水を飲ませる、吐かせる」などの注意書が義務づけられています。しかし当時『ライポンF』の容器には「厚生省実験証明」「本品は毒性を有せず」という表示がしてありました。もし庵島さんが、毒であることを知っていたら、何らかの手段を講じで死ぬことはなかったでしょう。
その遺体を司法解剖した監察医務局の死亡検案書には、冒頭に「本屍の死因は中性洗剤による中毒死である」とはっきり書かれていたのにもかかわらず、遺族がライオン油脂を相手に行った損害賠償請求の裁判では「庵島弘敏の死因が、ライポンFによるものであることを前提とする原告らの請求は、その余の事実について判断するまでもなく、理由がないのでこれを棄却する」という判決がなされたのです。
それから20年間、政府は「合成洗剤は通常の使用では無害」と言いつづけています。これは裏をかえせば、容器の注意書を守らなければ有害ということです。合成洗剤は毒なのです。
※このコーナーでは、石川貞二さんの文章をそのまま掲載しています。当「石鹸百科」とは異なる見解が含まれていることがあります。