私の住んでいる漁村でも、漁師の奥さんたちの間で、せっけんが静かなブームをおこしています。漁船のエンジン・ルームで銹と油でドロドロによごれた作業服が、せっけんで洗うと、思いかけず美しく洗えることに気づいたのです。
合成洗剤メーカーが「白さと香り」とか「輝く白さ」とか「うれしい白です」とか、白さを強調しつづけてきたわけが、はっきりしました。合成洗剤は、洗浄力が弱いため、螢光増白剤という塗料を、たくさん入れて、白く染めることでごまかさなくてはならないのです。この螢光増白剤は、発ガン物質のおそれがあり、法律でガーゼや脱脂綿には使用が禁止されています。
ちゃんとした哲学を持っている人たちの間では、例えせっけんが合成洗剤より高価でも、洗浄力が弱くても、せっけんを使うべきであるという考え方が定着しています。しかし、さいわい、せっけんの方が合成洗剤よりも安く入手できるし、洗浄力もすぐれているのです。だからこそ、合成洗剤追放運動が、徐々にでも拡がることもできるのです。
ごく普通の主婦には、いくら健康や環境の話しをしても、あんなにテレビでジャンジャン宣伝しているものが、悪いはずはないとしか思ってくれません。せっけんを使ってもみないで、もし使っても合成洗剤メーカーの粉せっけん(ほとんど下請に作らしている粗悪品)を使って、せっけんはだめと断言してしまう人たちには、実際に洗たくしてみせるのが一番早道です。
「ちゃんとした哲学を持っている人たちの間では・・・」というくだりがありますが、ここで石けんの方が安くて洗浄力も優れていると言い切っているのは、ちょっと言い換える必要が出て来ました。石けんにはピンからキリまであって、なかにはシャボン玉スノール(当時まだスノールは出てなかったと思いますが)のように、高くて洗浄力が弱い物もあるからです。私がずーっと使ってきた石けんが素晴らしかったので、気がつきませんでした。
哲学云々で言いたかったことは、《科学論争に巻き込まれないように》ということです。合成洗剤を使っていた時は手荒れがひどかったが、石けんに変えたらきれいに治ってしまった。合成洗剤では魚が死んだり、小さい生物が死んだりするが、石けんではそんなことは起こらないと言った単純な理由さえあれば、難しい化学記号に振り回されたりすることなく、すんなり石けんを使えるはずです。人が地球上で生きていられるのは、人以外のあらゆる生き物のおかげなのです。合成洗剤が人以外の生き物に害があると知ったら、その時点で使用を止めるべきです。もっと私の本音を言えば、いっさいの合成洗剤の製造は禁止すべきです。
「テレビで宣伝しているから、悪いはずはない」とありますが、もっと多いのは国が、つまり厚生省が認めているから、悪いはずはないという人達です。私がまだ一介の地方公務員だったころ、市内での講演でこのことにふれて、「大体厚生省というのは厚かましい生き物と各」と発言し、市議会でずいぶん痛め付けられたりしましたが、今では「エイズのことでの厚生省の対応を見たら分かるように、厚生省の言うこと信じていたら殺されますよ」と言うことにしています。
※このコーナーでは、石川貞二さんの文章をそのまま掲載しています。当「石鹸百科」とは異なる見解が含まれていることがあります。