『合成洗剤追放20周年記念の集い』で、「行政に期待するな」という私の発言に対して、多くの人が反対の意見を述べられました。行政とうまくやっているという例や、行政にお金を使わせるという例も発表されました。しかし、私は現在一応行政側の人間ですし、同じ立場の人(例えば熱心なせっけん運動者である南勢町役場の川口祐二さんなど)の意見もまったく同じで、どうやら一般の市民は行政をあまく見すぎているとしか思えないのです。
行政とうまくやっている例の大部分は、行政に上手に利用されているみたいなところがあります。私の属している鳥羽市で、公共施設がせっけんを使うようになったのは、私ともう一人の仲間のたった二人で、あっちこっちの施設を回って、担当の人たちと一緒にお皿を洗いながら説得したので、(私は休暇をとって運動としてやったのです)行政のやったことといえば、ただせっけんを公共施設に配布しただけです。こんなことでは決してせっけんには変わりません。現場に熱心な人がいるか、行政の担当者に熱心な人がいるという恵まれた場合も、日本中には何例かあるでしょう。しかし大方は、草の根の人たちの地道な熱心な運動と協力で、公共施設がせっけん使用に変わっていったのだろうと思います。
公害関係で法律や条例ができると、かえってわるくなるという例がたくさんあります。行政に期待すると、むなしさが残ります。
文中、鳥羽市の公共施設で石けんを使うように、一緒に努力した相棒は、何を隠そう今の私のカミサンの薫さんです。
※このコーナーでは、石川貞二さんの文章をそのまま掲載しています。当「石鹸百科」とは異なる見解が含まれていることがあります。