「合成洗剤研究会」が分裂したことについて、意見が二つにわかれています。残念であるという人たちと、当然のことで、むしろすっきりしてよかったと思っている人たちがあります。
原水爆禁止運動でも、ソ連の原水爆は良いなどという人たちがいて分裂したのと同じようなことです。つまり合成洗剤の中にも良いものがあるから、合成洗剤追放というスロ-ガンはナンセンスだという学者・研究者と、合成洗剤を追放したいと思っている人たちが袂をわかっただけのことです。
よりよい合成洗剤の開発が、科学者の使命であると思っている人たちは、科学の進歩こそ、人類の幸福に貢献するのだと考えているのですが、本当に科学の進歩で人類は幸福になれるのでしょうか。科学万能主義は、原子力を、石油タンパクを、遺伝子の組替えを肯定し、あげくのはてには戦争さえ肯定せざるを得なくなってきます。
この100年位の間に、科学は目ざましい発展をとげましたが、それを扱っている人間は、それこそ万葉の昔から何の進歩もしていません。母親から産みおとされ、食べて、恋をして、悩んで、産んで、そして死ぬのです。何百年も前から、何も変わっていないのです。数百年前の音楽や文学や、絵画や彫刻を見てもわかります。
科学を学べば学ぶほど、科学をもてあそぶ人間の危なさを知るのが、むしろ本当の科学者ではないでしょうか。合成洗剤だけの問題ではありません。
「食うて生んで死ぬ」これは1994年に亡くなられた丘浅次郎博士の著書『生物学的人生観』の主題です。生物学の本というより、哲学書と私は受け取っています。人も植物も含めて、全ての生物は「食うて生んで死ぬ」ものであるという思想に私は感動しました。これこそ私が求めていた哲学だと思いました。現題は『生物学講座』であった本書を『生物学的人生観』と改題された丘先生の気持もそこにあったのだろうと思います。
人が作り出した化学物質は、国際的化学物質登録機関であるアメリカ・オハイオ州にあるCASによれば、登録されている化学物質は、1990年には既に1000万種類を超え、その後も年間60万件を超える(内半数は日本)の新規登録が行われているとされています。ふだん人が利用している化学物質は、せいぜい10~15万種類位だと思われますが、利用していないものも含めて、この膨大な種類の化学物質の安全性については、ほとんど無視されています。無害と思われていた化学物質が、とんでもない有害物質であることが判明したり(いい例がフロン)、あるいは極微量で生物の遺伝子を傷つける内分泌撹乱化学物質がつぎつぎに見つけられたり、人が地球上の生物に対して加えている害毒は、計り知れないものがあります。
※このコーナーでは、石川貞二さんの文章をそのまま掲載しています。当「石鹸百科」とは異なる見解が含まれていることがあります。