せっけんと合成洗剤の洗浄力をくらべる実験がいろいろなところで行われています。実験者の意向で、せっけんに軍配があがったり合成洗剤の方が勝ったりします。せっけんの銘柄がちがえば、洗浄力がちがうのは当たり前で、その意味で洗浄力テストは、あまり有意義とは思えないことが多いのです。特に始めからある意図のもとに行われる実験はナンセンスとしか言いようがありません。
はっきりしておきたいことは、合成洗剤は毒だから、有害だから使わないという考え方が基本にあれば、洗浄力の優劣など問題にならないということです。万一せっけんの方が洗浄力が劣るとしても合成洗剤は使うべきではないのです。また、万一せっけんの方が高くても、せっけんを使うべきなのです。しかし幸せなことに、合成洗剤よりも洗浄力も強く、経済的なせっけんはたくさんあります。
もう一つ資源の問題で、せっけんの原料は人の食料と競合するから、食料危機になるとせっけんは作れなくなるというのがあります。これもまた無意味で、合成洗剤の原料の石油の方が有限です。
もしせっけんがなくなったとしても、有史以来、人は洗たくといえば、もんだり、たたいたり、ゆすいだりするだけで過ごしてきたのです。庶民にまでせっけんが普及したのせいぜい百年前です。
エネルギ-のことでも何でも、現状維持を大前提にしてものごとを考えることが、たいへんまちがいではないでしょうか。
石けんだってなくてもいいという考えは、前に述べた合成洗剤追放運動は、石けん使用運動ではないというということに通じます。その意味では、石けんを製造販売しているから、合成洗剤追放運動をしていると考えるのは間違いです。
※このコーナーでは、石川貞二さんの文章をそのまま掲載しています。当「石鹸百科」とは異なる見解が含まれていることがあります。